「(前略)西法寺より南に向って直進すれば十数歩にして右側に米屋あり(中略)尚ほ少しく進めば右角に佐伯屋左角に筑前屋あり木賃兼業の旅館なり十字街道を右に折るれば不老町に出ず筑前屋沿うて左折すれば最も殷賑なる流川町なり貸席兼料理屋等多く(中略)百歩ばかり右傍に旅館日出屋あり(以下略)更に百歩ばかりして新湯あり(中略)湯の前に旅館若亀あり(以下略)」。 さらに「(前略)右角に中津屋左角に天満屋あり(中略)中津屋南隣の三層楼は即ち別府第一の客舎日名子旅館にして(以下略)」とある。つまり本町橋(流川と小倉街道の交差点)の4つ辻には旅館が存在した。北の西(山側)辻には佐伯屋、北の東辻(海側)には筑前屋、南の西辻(山側)には中津屋、南の東辻(海側)には天満屋(海側)が分布していることが分かる。この4軒の内筑前屋を除く3軒が文化年間の屋号のままであり、当時から立地していたと推定できよう。なお中津屋の南に位置する日名子は文化年間では府内屋の屋号であり、『大分縣案内』からは4軒の場所が特定できよう。 参考文献 第九回西南区実業大会(1902):『大分縣案内』菁莪堂書店)
by b8spa
| 2011-06-10 00:56
| 別府八湯の歴史
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