しかし駒太には子供はなく、分家の形となった。初代町長を辞めた後は、商売(明治中頃からタバコと和洋酒販売を始めた)に専念したが、1902(明治35)年に商売を止めて、屋敷を手放した。その跡を購入したのが、豊前の資産家・江上孝純(元県議)だ。愛人キヌに料亭「まるか」を経営させた。徳田秋声も1903(明治36)年2月末の来別中に出入りした。1912(大正元)年、その跡を藤岡弥八(藤岡商会・香川県出身)が購入。建物は120年の歴史があった。屋敷が広すぎて流川通りが8間道路となった1917(大正6)年に分譲。1919(大正8)年に角地で家を建てて、「いなりや」(はきものや)に賃貸。2代目は藤岡秀雄。(別府今昔(142~143頁)による)
by b8spa
| 2011-06-05 20:16
| 別府八湯の歴史
|
カテゴリ
以前の記事
2018年 07月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 04月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 04月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 フォロー中のブログ
メモ帳
検索
その他のジャンル
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||