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高倉庄屋(歴史)

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堀家が別府村の庄屋職を退いた後は、小坂村庄屋の第8世高倉曽右衛門が兼務し、後に正式な庄屋となった。1889(明治22)年に別府村の初代村長、1893(明治26)年に別府町の初代町長をした高倉駒太(1859(安政6)年1月5日―1932(昭和7)年4月13日)は、第12世織作の妻ナジの弟で、駒太は織作の養子となった。屋敷は流川4丁目の流川通りに面した南にあった。
しかし駒太には子供はなく、分家の形となった。初代町長を辞めた後は、商売(明治中頃からタバコと和洋酒販売を始めた)に専念したが、1902(明治35)年に商売を止めて、屋敷を手放した。その跡を購入したのが、豊前の資産家・江上孝純(元県議)だ。愛人キヌに料亭「まるか」を経営させた。徳田秋声も1903(明治36)年2月末の来別中に出入りした。1912(大正元)年、その跡を藤岡弥八(藤岡商会・香川県出身)が購入。建物は120年の歴史があった。屋敷が広すぎて流川通りが8間道路となった1917(大正6)年に分譲。1919(大正8)年に角地で家を建てて、「いなりや」(はきものや)に賃貸。2代目は藤岡秀雄。(別府今昔(142~143頁)による)
by b8spa | 2011-06-05 20:16 | 別府八湯の歴史
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