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照湯(温泉)

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明礬温泉の照湯は、森藩が江戸末期に開発した温泉施設である。江戸時代の明礬地区は、明礬の鉱山として知られ、平田川の左岸が幕府領、右岸が森藩の飛び地であった。そんな関係で、殿様が祓川(春木川の上流)の左岸で温泉の開発を行ったと想定できよう。当時は、滝湯などもあって、総合的な温泉施設だったらしい。しかし、河川の氾濫で復元は行われず、明治期以降は、地元専用の共同浴場として長く利用された。温泉施設は、2004年になって、現在の形態で新築が行われ、一般に開放された訳だが、石畳、湯船など、風情ある遺構は雰囲気を変えてしまった。現在でも、湯守りの方が近くに住んでいるとか。(写真は当時の街道(えんま坂)。右手に温泉施設がある)

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玄関右手・殿様の湯の湯船の周辺が江戸末期とされ、別府市の文化財に指定されている。新築前は、それらしい感じだったが、いまは場所も移動した関係で、少しだけ雰囲気を残している感じだ。
# by b8spa | 2011-06-05 20:46 | 別府八湯の温泉

別府港(歴史)

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明治維新となって別府温泉郷は顕著な変容をとげることになった。日田県知事松方正義は別府の視察を行い、新別府港の必要性を説いた。1871(明治4)年5月、4万円もの県費をかけて別府湾に面する流川河口付近の楠浜で近代的な別府港が竣工し、海路による交通が一段と利便性を増した。港湾整備に関しては、別府の有力者がかり出された。具体的な屋号と氏名は、府内屋・日名子太郎兵衛、米屋・堀清左衛門、紀野屋・金居與助、讃岐屋・日名子長左衛門、萬屋・神澤儀助、若松屋・松尾彦七などである。
写真は、ゆめタウンの開発前のもの。
# by b8spa | 2011-06-05 20:42 | 別府八湯の歴史

若木屋(歴史)

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若木屋は、別府の北浜を代表する網元と言われる。明治から大正にかけて、兵網の鶴田家と並ぶ網元で、竹瓦温泉の場所はほとんど若木屋のイリコ小屋だったとのこと。
若木屋の家系は、武士の出で、西国各地を転々とした後、豊後白木浦(現在の別大国道の白木)に上陸して大友家に仕え、その後、別府の港町で網元を始めたと言う。先祖の佐藤勘左衛門尉藤原勝信という人は、大友の武将の1人として朝鮮出兵で軍功があり、1595(文録4)年1月2日、豊臣秀吉から感謝状をもらったとか。網元としての船名は若木丸。 (別府今昔による)
# by b8spa | 2011-06-05 20:38 | 別府八湯の歴史

秋葉神社(歴史)

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秋葉神社の北側を通る路地は「どい」と呼ばれ、江戸時代から続く旧秋葉通りである。この付近は交通の要地で、馬宿もあったとか。角地に建つタナベヤこと西原家(元は呉服荒物店)は1877(明治10)年に進出したとか。その前は松原で居を構えていたらしい。
# by b8spa | 2011-06-05 20:36 | 別府八湯の歴史

秋葉神社(歴史)

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秋葉神社の勧請は、1725(享保10)年とか1764(明和元)年とのこと。しかし案内版には1725(享保10)年とある。境内には1732(享保17)年奉納の手水鉢が残されている。
# by b8spa | 2011-06-05 20:32 | 別府八湯の歴史