<   2011年 06月 ( 57 )   > この月の画像一覧

別府温泉郷のルーツ(歴史)

a0212770_0315934.jpg
別府温泉郷のルーツは風土記に求めることができよう。すなわち8世紀に編纂された豊後風土記の速見郡の条に赤湯泉、玖倍理湯(くべりゆ)の井の記載がある。つまり赤湯泉とは現在の血の池地獄のことで、地獄の存在を指摘している。玖倍理湯(くべりゆ)はくすぶるを意味し、場所は特定できないが、湯煙のくすぶるさまを表現しており、いずれにしても鉄輪温泉の状況を記載していると推定できる。
※絵葉書は血の池地獄。参考文献(大分県地方史研究会(1957):『別府の歴史』大分県地方史研究会)
[PR]
by b8spa | 2011-06-10 00:33 | 別府八湯の歴史

毎日新聞掲載の別府八湯検定(2011年06月06日)

毎日新聞の記事です。
2011年5月31日付となります。

八湯検定:8月6日に別府市と大阪・熊取町で 全50問満点なら「カリスマ」 /大分

別府市内の温泉88カ所入湯を目指すスタンプラリー、別府八湯温泉道の創設10周年を記念し今夏、同市と、大阪観光大学がある大阪府熊取町で初の「別府八湯検定」が開かれる。別府八湯にかかわる自然や歴史、産業、文化や温泉など計50問。88点以上は別府八湯準カリスマ、100点満点は別府八湯カリスマの称号・認定証と特製タオルをもらえる。
検定は8月6日午後1時半~午後2時半。別府会場は別府市上田の湯町の市中央公民館、大阪会場は熊取町大久保南の大阪観光大で。受験料は1000円で、別府会場は88人限定。別府八湯温泉本やインターネットのホームページ「別府なび」「別府八湯温泉道」内の情報を中心に、同大学観光学科の浦達雄教授らが問題を作る。
別府会場の申し込みは6月1日~7月22日。
往復はがきに住所、氏名、電話番号を記入し、〒874-8511 別府市上野口町1-15 市観光協会内検定担当へ。受験料は当日持参。【祝部幹雄】
[PR]
by b8spa | 2011-06-06 10:08 | ニュース

温泉番付(歴史)

a0212770_2051466.jpg江戸後期の温泉番付によると、浜脇は西前頭3枚目に位置し、瘡毒に吉、別府は前頭6枚目に位置し、眼病に吉とある。東の大関は上州草津の湯、関脇は野州那須の湯、小結諏訪の湯、前頭は豆州足の湯、以下、陸奥嶽の湯、上州伊香保の湯、仙台成子の湯、最上高湯の泉、秋田河内原の湯と続く。これに対して、西の大関は播州有馬の湯、関脇但州木の崎の湯、小結豫州どふごの湯、前頭加州山中の湯、以下、肥後阿蘇の湯、豊後濱脇の湯、肥前温泉の湯、薩摩霧島の湯、豊後別府の湯、肥後山鹿の湯となる(以下省略)。
なお、行司は熊野本宮之湯、伊豆熱海之湯、津軽大鰐之湯、差添人は上州さわとの湯、勧進元は紀伊熊野新宮之湯である。諸国温泉功能鑑とあるように、温泉の効能(現在の適応症)を主としたランキングと思われるが、浜脇は西前頭3枚目、別府は同6枚目として登場している。九州の温泉ではこの他に肥後阿蘇(西前頭2枚目)、肥前温泉の湯(西前頭4枚目)、肥後山鹿の湯(西前頭7枚目)だけで、特に浜脇温泉の地位が高い。浜脇は漁港、朝見神社の門前町として栄え、花柳街(貸席)などもあって格は別府よりも上であった。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:51 | 別府八湯の歴史

岡本屋(温泉旅館)

a0212770_175671.jpg
明礬温泉の岡本屋は、明礬温泉を代表する老舗の温泉旅館だ。創業は1877(明治10)年。隣のゑびすや旅館が自称1875(明治8)年の創業で、ゑびすや旅館の方が古い訳だが、岡本屋の場合は便宜的に明治10年を創業年にしたらしい。岡本屋を経営する岩瀬家は、森藩の明礬山の山奉行であり、屋号は出身地である岡本村(現在の竹田市の一部?)の岡本である。そういえば、鶴寿泉近くの山田屋は、山田村(現在の玖珠か森町?)の出身だから、この屋号らしい。ちなみに江戸時代の山田屋は、岡本屋のもとで働いていたとか(簡単に言えば、家来?)。山田屋の創業は、自称、1830~1843年(天保年間)とのことだが、創業なのか、明礬へ来た年なのか、定かではない。事実なら別府八湯では、現存する旅館では一番古い旅館となる。
写真は岡本屋の男性用の露天風呂。以前は混浴だったが、某女流作家から注文(文句)をつけられて、柵をつけた次第。柵の向こうが女性専用の露天風呂となる。男湯に女性は入浴しても良い。
注:最近、岡本屋は創業を1875(明治8)年としている。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:48 | 別府八湯の産業

照湯(温泉)

a0212770_2384858.jpg
明礬温泉の照湯は、森藩が江戸末期に開発した温泉施設である。江戸時代の明礬地区は、明礬の鉱山として知られ、平田川の左岸が幕府領、右岸が森藩の飛び地であった。そんな関係で、殿様が祓川(春木川の上流)の左岸で温泉の開発を行ったと想定できよう。当時は、滝湯などもあって、総合的な温泉施設だったらしい。しかし、河川の氾濫で復元は行われず、明治期以降は、地元専用の共同浴場として長く利用された。温泉施設は、2004年になって、現在の形態で新築が行われ、一般に開放された訳だが、石畳、湯船など、風情ある遺構は雰囲気を変えてしまった。現在でも、湯守りの方が近くに住んでいるとか。(写真は当時の街道(えんま坂)。右手に温泉施設がある)

a0212770_2310588.jpg
玄関右手・殿様の湯の湯船の周辺が江戸末期とされ、別府市の文化財に指定されている。新築前は、それらしい感じだったが、いまは場所も移動した関係で、少しだけ雰囲気を残している感じだ。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:46 | 別府八湯の温泉

別府港(歴史)

a0212770_2042288.jpg
明治維新となって別府温泉郷は顕著な変容をとげることになった。日田県知事松方正義は別府の視察を行い、新別府港の必要性を説いた。1871(明治4)年5月、4万円もの県費をかけて別府湾に面する流川河口付近の楠浜で近代的な別府港が竣工し、海路による交通が一段と利便性を増した。港湾整備に関しては、別府の有力者がかり出された。具体的な屋号と氏名は、府内屋・日名子太郎兵衛、米屋・堀清左衛門、紀野屋・金居與助、讃岐屋・日名子長左衛門、萬屋・神澤儀助、若松屋・松尾彦七などである。
写真は、ゆめタウンの開発前のもの。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:42 | 別府八湯の歴史

若木屋(歴史)

a0212770_20383210.jpg
若木屋は、別府の北浜を代表する網元と言われる。明治から大正にかけて、兵網の鶴田家と並ぶ網元で、竹瓦温泉の場所はほとんど若木屋のイリコ小屋だったとのこと。
若木屋の家系は、武士の出で、西国各地を転々とした後、豊後白木浦(現在の別大国道の白木)に上陸して大友家に仕え、その後、別府の港町で網元を始めたと言う。先祖の佐藤勘左衛門尉藤原勝信という人は、大友の武将の1人として朝鮮出兵で軍功があり、1595(文録4)年1月2日、豊臣秀吉から感謝状をもらったとか。網元としての船名は若木丸。 (別府今昔による)
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:38 | 別府八湯の歴史

秋葉神社(歴史)

a0212770_20354980.jpg
秋葉神社の北側を通る路地は「どい」と呼ばれ、江戸時代から続く旧秋葉通りである。この付近は交通の要地で、馬宿もあったとか。角地に建つタナベヤこと西原家(元は呉服荒物店)は1877(明治10)年に進出したとか。その前は松原で居を構えていたらしい。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:36 | 別府八湯の歴史

秋葉神社(歴史)

a0212770_20322484.jpg
秋葉神社の勧請は、1725(享保10)年とか1764(明和元)年とのこと。しかし案内版には1725(享保10)年とある。境内には1732(享保17)年奉納の手水鉢が残されている。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:32 | 別府八湯の歴史

木屋(歴史)

a0212770_20293855.jpg
紙屋温泉の近く、南町の旧国道沿いのたばこ店・河村家の屋号は木屋と言う。何と1700(元禄13)年に本家の小松屋から分家したとのこと。そういえば、屋敷は短冊状で細長い。旧家の証だ。
[PR]
by b8spa | 2011-06-05 20:29 | 別府八湯の歴史