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別府八湯検定試験の受験者数

6月末現在、別府八湯検定の受験者数は、以下の通りです。

別府会場:70人近く
大阪会場:3人

申し込みの締め切りは7月22日ですが、別府会場は、締切日を待たずに88人の定員に達する可能性があります。
受験予定者がいましたら、早めの申し込みをお勧めします。
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by b8spa | 2011-06-30 21:43 | ニュース

高崎山(自然)

高崎山(たかさきやま)
標高は628m。由布岳、鶴見岳などが連なる火山群の南東端に位置する。また、瀬戸内海国立公園内に位置する。四方を見渡せることから、古くは四極山(しはつやま)と呼ばれた。山中に生息する野生のニホンザルを餌付けした高崎山自然動物園がある。開園は1953(昭和28)年3月15日。サルは現在約1,222頭が生息し、国の天然記念物の指定を受けている。頂上に築かれた高崎山城は1593(天正20)年の大友氏の廃絶により廃城となり、現在では遺構のみが残っている。
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by b8spa | 2011-06-29 22:38 | 別府八湯の自然

伽藍岳(自然)

伽藍岳(がらんだけ)
標高は1,045mの活火山。別名を硫黄山という。別府温泉の熱源とされる。西側の山腹・標高約800m地点には塚原温泉火口乃泉がある。泉質は酸性-含硫黄・鉄・アルミニウム-カルシウム-硫酸塩泉で、Ph=1.4と玉川温泉に次ぐ強酸性で知られる。酸性度の高さ、アルミニウムイオン(295mg)は日本第2位、鉄イオン含有量(456mg)は日本第1位と言われる。現在は、日帰り温泉だけだが、高度経済成長期には数軒の湯治旅館が成立した。
(塚原温泉火口乃泉のHPなどによる})
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by b8spa | 2011-06-28 21:55 | 別府八湯の自然

鶴見岳(自然)

鶴見岳(つるみだけ)
標高は1,375mの活火山。一帯は阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。初夏のミヤマキリシマ、秋の紅葉、冬の霧氷などが見もの。山頂へは近鉄別府ロープウェイがある。中腹の別府高原駅(標高503m)から山頂の鶴見山上駅(標高1,300m)まで通じており、10分足らずで登ることができる。
山頂からは、東に別府市街や別府湾、南に城島高原を見おろし、すぐ西には由布岳、遠くには九重山を望む。晴れた日には東に四国を遠望することができる。また、山頂には火男火売神社(通称、御嶽権現)奥院の石祠や鶴見七福神が祭られている。
主なイベントとして、鶴見岳大寒がまん大会とべっぷ鶴見岳一気登山大会がある。前者は例年1月の開催で、山頂で氷のイスに座ってかき氷を早食いする「かき氷早食い競争」などが行われる。後者は例年4月の第2日曜日)の開催で、海抜0mから標高1,375mの山頂までの約12kmの道のり(幹線自動車道は未利用)を登る。
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別府公園からみた夏の鶴見岳
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by b8spa | 2011-06-23 23:11 | 別府八湯の自然

別府八湯検定記念の特製箸(2011年06月23日)

2011年8月6日の第1回別府八湯検定試験を記念して、輪島塗の特製箸を作成しました。
2010年8月8日は、888記念として、緑色の箸を制作して配布しましたが、今回はその兄弟(姉妹)箸となります。緑色(長寿)に対して、黄色(幸福)です。
受験生にはもれなく謹呈しますので、受験の登録を早めにお願いします。
別府会場は、すでに40数人の申し込みがあろようですが、大阪会場は3人のみです。
まだ、申し込みの締め切りまで時間はありますが、別府会場は先着順となります。
大阪会場は人数に制限はありません。
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by b8spa | 2011-06-23 22:15 | ニュース

明治末期の温泉行政(歴史)

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1966年の『別府温泉の実態』によると、大分県は、1912(明治45)年6月5日、大分県訓令32号で、鉱泉取締規制を設け、泉源の保護対策を開始した。別府においては、1906(明治39)年4月、別府と浜脇の両町が合併し、新しい別府町が誕生した。そこで1909(明治42)年には、別府町上等温泉取締規定、入湯入待遇方法、海岸砂湯管理規程を公布し、不老泉、浜脇西温泉の上等温泉は有料の町営温泉となった。この条例は温泉利用に仕方を明示したものである。その際、温泉事務員を設置し、温泉行政の嚆矢となった。
1911(明治44)年には温泉課を新設し、助役がこれを兼務し、温泉の管理や観光宣伝に力を注いだのである。1918(大正7)年には別府町温泉調査会を設置し、温泉資源の調査を開始した。
1924(大正13)年、別府町が別府市となって、専任の温泉課長を置き、温泉係と補勝係(現在の観光係)に区分したのである。1936(昭和11)年になると、観光係を観光課に分離し、温泉課は温泉行政に専念することになった。
絵葉書は浜脇西温泉。
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by b8spa | 2011-06-10 23:47 | 別府八湯の歴史

別府湾を中心とせる郷土研究(歴史)

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大分縣師範学校郷土室(1934)の『別府湾を中心とせる郷土研究』によると、1932 (昭和7) 年11月現在の孔数(井泉台帳数)は、全体で2,482孔(出典文献では2,536孔)を数え、1.57倍の増加率を示す。市町村別で孔数をみると、別府市1,228孔、亀川町523孔、朝日村375孔、石垣村356孔、構成比では、それぞれ49.5%、21.1%、15.1%、14.3%を示し、別府・浜脇の占める割合は49.5%と5割を切っている。
1923年と比較すると、別府市(別府・浜脇)1.05倍、亀川町1.48倍、朝日村(明礬・鉄輪)8.72倍、石垣村(観海寺・堀田)29.67倍となり、別府・浜脇を除く、周辺部の町村において温泉開発が著しいことが分かる。しかし、湧出口数(利用源泉数)をみると、全体では1,162孔を示し、市町村別では、別府市840孔、亀川町125孔、朝日村141孔、石垣村56孔となり、それぞれ構成比は52.5%、10.8%、12.1%、4.8%を示し、石垣村(観海寺・堀田)は少ない。
絵葉書は浜脇東温泉。
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by b8spa | 2011-06-10 23:44 | 別府八湯の歴史

全国温泉鉱泉ニ関スル調査(歴史)

a0212770_23421723.jpg内務省衛生局(1923)の『全国温泉鉱泉ニ関スル調査』によると、1923(大正12)年現在、別府温泉郷の源泉数は1,584孔を数える。地区別では、別府・浜脇1,175孔、亀川354孔、鉄輪15孔、明礬28孔、観海寺12孔、堀田0孔となる。堀田は、同じ石垣村に位置する観海寺温泉に含まれていると推定する。構成比をみると、別府市(別府・浜脇)74.2%、亀川町22.3%、朝日村(鉄輪・明礬)2.7%、石垣村(観海寺・堀田)0.8%を示し、別府・浜脇で全体の7割強を占めていることが分かる。
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by b8spa | 2011-06-10 23:42 | 別府八湯の歴史

明治末期の温泉分布(歴史)

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図は1905(明治38)年2月現在における別府温泉(別府、浜脇)における源泉の分布状況を示したものである。鉱山監督官である松田繁が大分県知事に提出した報告書『別府濱脇町鉱泉ニ関スル取調書類』(1905)に掲載された内容である。
1905年現在の源泉数は198ヵ所(孔)を数え、地域別では、別府166孔、浜脇32孔を示す。源泉の内訳は、穿湯173孔、掘湯25孔となる。穿湯とは上総掘りのことである。この書類によると、1882年(明治15)の掘削が一番古く、当時の別府の豪商である「たばこ屋」主人の荒金猪六が掘削している。
分布状況をみると、源泉は流川沿いと旧国道沿いに分布している。旅館、商店、自宅などで掘削したケースが多いといえよう。その後、別府では温泉掘削の乱開発が進展した。その結果、1911(明治44)年現在、源泉の数は593孔を数えるに至った。所有形態の内訳は、町有源泉24孔、私有源泉569孔となる。1905(明治38)年が198孔を数えており、従って、6年間で371孔、1年平均で61.8孔の源泉が掘削された計算になる。こうした上総掘りの導入で、旅館では内湯を完備するところが続出したのである。
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by b8spa | 2011-06-10 23:40 | 別府八湯の歴史

日本鉱泉誌(歴史)

a0212770_23374991.jpg『日本鉱泉誌』(1886年)によると、大分縣豊後国の項で、次のような記載がある。( )内は筆者が追記したものである。別府村別府鉱泉として、楠湯、不老ノ湯(不老泉)、長石ノ湯(永石温泉)、中津屋ノ湯(中津屋旅館)、野田湯(田の湯温泉)、浴客1万630人(平均1ヵ年、以下同じ)、濱脇村濱脇温泉として、東温泉、西温泉、逆旅(旅館)40余戸、浴客1万1,340人、南立石村観海寺鉱泉として、客舎10余戸、浴客3,219人、南立石村上ノ田鉱泉として、浴客未詳、南立石村堀田鉱泉として、逆旅11戸、浴客3,176人、鉄輪村鉄輪鉱泉として、渋ノ湯、熱ノ湯、浴客8,000人、野田村柴石温泉として、逆旅2戸、浴客800人、野田村湯ノ森鉱泉として、御夢想ノ湯と称す、亀川村蕩耶鉱泉として、客舎13戸、亀川村平田鉱泉として、浴客3,500人、鶴見村地蔵鉱泉として、客舎7戸、浴客2,600人、などの記載がある。
別府村では、旅館の不記入、温泉施設の調査不足もあって、正確なデータとは言えないが、現在の別府温泉郷の範囲では、おおよそ4万3,000人程度(1年間)の入浴客があったと推定できよう。明治中期までの別府温泉郷は、共同湯を中心として温泉集落が成立していたが、近在の農民などを対象とした湯治場の段階に留まっていたのである。
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by b8spa | 2011-06-10 23:37 | 別府八湯の歴史