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カテゴリ:別府八湯の文化( 4 )

別府八湯の文化(ゆかりの)著名人)

別府八湯の文化
ゆかりの著名人

稲尾和久 プロ野球選手。波止場神社近くで住む。父は漁師で、網元は鶴田家。

今宮健太 福岡ソフトバンクホークス2015年4月21日、別府特別観光大使就任。

山下久美子 ミュージシャン

大塚博堂 シンガーソングライター

琴別府要平 大相撲力士。

錦野旦 別府緑ヶ丘高等学校業。当初、器械体操部に所属。

荒巻淳 別府星野組で活躍。第20回都市対抗野球大会(1949)で優勝。和製火の玉投手。


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by b8spa | 2015-07-31 18:48 | 別府八湯の文化

別府八湯の文化(作家など)(2015年07月29日)

別府八湯の文化
作家など

織田作之助

「夫婦善哉」・別府三部作(雪の夜・湯の町・怖るべき女)2007(平成19)年には鹿児島県で「続・夫婦善哉」が発見された。

三島由紀夫

1958(昭和33)年、新婚旅行で杉乃井館に宿泊。地獄めぐりを行なう。

川端康成

「続千羽鶴」。1952(昭和27)10月来別。

菊池幽芳

大阪毎日新聞の記者。作家。「別府温泉繁盛記」「百合子」。

別府宣伝のため1907(明治40)10月に招かれる。

徳田秋声

「西の旅」「観海寺の五日」。近代自然主義の代表作家。1903(明治36)年2月末から1カ月間別府で療養。

林真理子

白蓮れんれん」。1994(平成6)年発行。白蓮と宮崎龍介との大正の恋物語。

ポール・クローデル 

1921(大正10)年から6年間、駐日大使を務めたフランスの外交官。詩人。

1924(大正13)年と1926(大正15)年に別府を訪問。

詩碑は1968(昭和43)年9月に建てられ、現在は北浜公園の中にある。

竹久夢二

1918(大正7)年来別。長崎旅行の途中、愛人・笠井彦乃と別府に立ち寄ったが、彦乃は肺結核が悪化。中田医院(現在の楠銀天街下の旭通り沿いにあった)に入院中の彦乃を約1カ月見舞った。

与謝野晶子

油屋熊八の招きに応じて、1931(昭和6)10月、与謝野寛・晶子夫妻が来別し、亀の井ホテルに宿泊。

斎藤茂吉

1921(大正10)年3月、ドイツに留学するので、長崎から東京に帰る途中に、東大医学部の同窓であるの鳥潟豊博士を尋ねるため、来別。

高浜虚子

1920(大正9)年、鉄輪の富士屋旅館に宿泊。日本八景に選ばれた別府温泉を高浜虚子が執筆。

「日本八景」(1927・昭和年)日発表。(東京日日新聞と大阪毎日新聞の共同企画・鉄道省後援)

柳原白蓮

大正時代から昭和初期にかけての歌人。柳原燁子(あきこ・白蓮)は京都の伯爵家に生まれた。16歳の時、養女先の子息と結婚させられたが、すぐに離別。1911(明治44)年、27歳の時、筑豊の炭鉱王である伊藤伝右衛門と再婚する。別府の赤銅御殿と呼ばれた別荘での生活が始まるが、その後、1921(大正10)年、青年社会運動家である宮崎竜介と駆け落ち。

丸山待子

歌人。29歳で夫と死別後、実家である小松屋へ戻り、1928(昭和3)年に浅利良道などと共に「大分歌人」を創刊した。野口雨情・与謝野晶子なども訪れ、小松屋は文化サロンとして機能した。

浅利良道

歌人。大分県短歌界の重鎮。1934(昭和9)年、大分合同新聞(当時は大分新聞)の歌壇選者となる。生誕地は現在の西法寺通り。

旧国道(小倉街道)では「中町」。旧屋号は満足屋。

奥野他見男

別府夜話」。1925(大正14)年発行。書き出しは「別府に怪しいものがある。家族風呂だ」。
1921(大正10)年に落成した不老泉のことを書いている。

若山牧水

1885(明治18)年、現在の日向市で生まれる。1925(大正14)年、妻と共に九州各地に出かけ、母を連れて別府で保養する。


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by b8spa | 2015-07-29 18:36 | 別府八湯の文化

別府八湯の文化(有名建築・近代化遺産)(2015年07月28日

別府八湯の文化
有名建築(近代化遺産)

①千辛万苦の場(旧旅館若松屋旧屋)江戸時代末期 設計は不詳

②野口病院 1922(大正11)年 不詳

③京都大学理学部付属地球熱学研究施設 1924(大正13)年 永瀬狂三設計

④駅前高等温泉 1924(大正13)年 不詳

⑤別府市中央公民館(旧別府市公会堂)1928(昭和3)年 吉田鉄郎

⑥別府市児童館 1928(昭和3)年 吉田鉄郎

⑦聴潮閣 1929(昭和4)年 不詳

⑧平尾邸 1917(大正6) 不詳

⑨浜田温泉資料館(旧浜田温泉) 1935(昭和10)年 池田三比古

⑩竹瓦温泉 1938(昭和13)年 不詳

⑪別府タワー 1957(昭和32)年 内藤多仲



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by b8spa | 2015-07-28 13:29 | 別府八湯の文化

建築家・吉田鉄郎(文化)

某HPから引用しました。
1928(昭和3)年3月に別府市公会堂(別府市中央公民館)を竣工した「吉田鉄郎」の経歴などは、以下の通りです。今更ながら勉強になりますね。
1924(大正13)年の別府市制施行を記念したものです。鉄筋コンクリート造の建物は、大分県下屈指の貴重な近代建築の1つ。当時、逓信省営繕課の設計者で、その後、東京中央郵便局(1933年)や大阪中央郵便局(1939年)を手掛け、日本の近代建築に大きな影響を与えた。
スエーデン・ストックホルムの市庁舎をモデルにしたと伝えられている。

a0212770_23242655.jpg建築家・吉田鉄郎(よしだ てつろう) (1894-1956年)
明治27年(1894)5月18日 富山県旧福野町(現在の南砺市)に生まれる。
旧姓・五島(ごとう)鉄郎。五人兄弟の三男。
1919(大正8)年、 東京帝国大学を卒業し、逓信省に入省。
  学生時代、婚約が成立していた吉田芳枝と結婚し、吉田家の養嫡子となる。
1928(昭和3)年、別府市公会堂(現・別府市中央公民館)・竣工。
1928(昭和3)年、別府郵便局電話事務室(現・別府市児童館)・竣工。
1931(昭和6)年、東京中央郵便局・竣工。
視察のため海外出張(ドイツ・スウェーデンなど)
1935(昭和10)年、ドイツ語版「日本の住宅」をドイツで出版。
1939(昭和14)年、大阪中央郵便局・竣工。
1946(昭和21)年、日本大学教授となる。
1949(昭和24)年、脳腫瘍発病。
1956(昭和31)年9月8日、逝去(62歳)。
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by b8spa | 2011-07-28 22:50 | 別府八湯の文化