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別府八湯の文化(作家など)(2015年07月29日)

別府八湯の文化
作家など

織田作之助

「夫婦善哉」・別府三部作(雪の夜・湯の町・怖るべき女)2007(平成19)年には鹿児島県で「続・夫婦善哉」が発見された。

三島由紀夫

1958(昭和33)年、新婚旅行で杉乃井館に宿泊。地獄めぐりを行なう。

川端康成

「続千羽鶴」。1952(昭和27)10月来別。

菊池幽芳

大阪毎日新聞の記者。作家。「別府温泉繁盛記」「百合子」。

別府宣伝のため1907(明治40)10月に招かれる。

徳田秋声

「西の旅」「観海寺の五日」。近代自然主義の代表作家。1903(明治36)年2月末から1カ月間別府で療養。

林真理子

白蓮れんれん」。1994(平成6)年発行。白蓮と宮崎龍介との大正の恋物語。

ポール・クローデル 

1921(大正10)年から6年間、駐日大使を務めたフランスの外交官。詩人。

1924(大正13)年と1926(大正15)年に別府を訪問。

詩碑は1968(昭和43)年9月に建てられ、現在は北浜公園の中にある。

竹久夢二

1918(大正7)年来別。長崎旅行の途中、愛人・笠井彦乃と別府に立ち寄ったが、彦乃は肺結核が悪化。中田医院(現在の楠銀天街下の旭通り沿いにあった)に入院中の彦乃を約1カ月見舞った。

与謝野晶子

油屋熊八の招きに応じて、1931(昭和6)10月、与謝野寛・晶子夫妻が来別し、亀の井ホテルに宿泊。

斎藤茂吉

1921(大正10)年3月、ドイツに留学するので、長崎から東京に帰る途中に、東大医学部の同窓であるの鳥潟豊博士を尋ねるため、来別。

高浜虚子

1920(大正9)年、鉄輪の富士屋旅館に宿泊。日本八景に選ばれた別府温泉を高浜虚子が執筆。

「日本八景」(1927・昭和年)日発表。(東京日日新聞と大阪毎日新聞の共同企画・鉄道省後援)

柳原白蓮

大正時代から昭和初期にかけての歌人。柳原燁子(あきこ・白蓮)は京都の伯爵家に生まれた。16歳の時、養女先の子息と結婚させられたが、すぐに離別。1911(明治44)年、27歳の時、筑豊の炭鉱王である伊藤伝右衛門と再婚する。別府の赤銅御殿と呼ばれた別荘での生活が始まるが、その後、1921(大正10)年、青年社会運動家である宮崎竜介と駆け落ち。

丸山待子

歌人。29歳で夫と死別後、実家である小松屋へ戻り、1928(昭和3)年に浅利良道などと共に「大分歌人」を創刊した。野口雨情・与謝野晶子なども訪れ、小松屋は文化サロンとして機能した。

浅利良道

歌人。大分県短歌界の重鎮。1934(昭和9)年、大分合同新聞(当時は大分新聞)の歌壇選者となる。生誕地は現在の西法寺通り。

旧国道(小倉街道)では「中町」。旧屋号は満足屋。

奥野他見男

別府夜話」。1925(大正14)年発行。書き出しは「別府に怪しいものがある。家族風呂だ」。
1921(大正10)年に落成した不老泉のことを書いている。

若山牧水

1885(明治18)年、現在の日向市で生まれる。1925(大正14)年、妻と共に九州各地に出かけ、母を連れて別府で保養する。


by b8spa | 2015-07-29 18:36 | 別府八湯の文化
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