別府八湯の文化 ①織田作之助 「夫婦善哉」・別府三部作(雪の夜・湯の町・怖るべき女)。2007(平成19)年には鹿児島県で「続・夫婦善哉」が発見された。 ②三島由紀夫 1958(昭和33)年、新婚旅行で杉乃井館に宿泊。地獄めぐりを行なう。 ③川端康成 「続千羽鶴」。1952(昭和27)年10月来別。 ④菊池幽芳 大阪毎日新聞の記者。作家。「別府温泉繁盛記」「百合子」。 別府宣伝のため1907(明治40)年10月に招かれる。 ⑤徳田秋声 「西の旅」「観海寺の五日」。近代自然主義の代表作家。1903(明治36)年2月末から1カ月間別府で療養。 ⑥林真理子 「白蓮れんれん」。1994(平成6)年発行。白蓮と宮崎龍介との大正の恋物語。 ⑦ポール・クローデル 1921(大正10)年から6年間、駐日大使を務めたフランスの外交官。詩人。 1924(大正13)年と1926(大正15)年に別府を訪問。 詩碑は1968(昭和43)年9月に建てられ、現在は北浜公園の中にある。 ⑧竹久夢二 1918(大正7)年来別。長崎旅行の途中、愛人・笠井彦乃と別府に立ち寄ったが、彦乃は肺結核が悪化。中田医院(現在の楠銀天街下の旭通り沿いにあった)に入院中の彦乃を約1カ月見舞った。 ⑨与謝野晶子 油屋熊八の招きに応じて、1931(昭和6)年10月、与謝野寛・晶子夫妻が来別し、亀の井ホテルに宿泊。 ⑩斎藤茂吉 1921(大正10)年3月、ドイツに留学するので、長崎から東京に帰る途中に、東大医学部の同窓であるの鳥潟豊博士を尋ねるため、来別。 ⑪高浜虚子 1920(大正9)年、鉄輪の富士屋旅館に宿泊。日本八景に選ばれた別府温泉を高浜虚子が執筆。 「日本八景」(1927年・昭和2年)7月6日発表。(東京日日新聞と大阪毎日新聞の共同企画・鉄道省後援)。 ⑫柳原白蓮 大正時代から昭和初期にかけての歌人。柳原燁子(あきこ・白蓮)は京都の伯爵家に生まれた。16歳の時、養女先の子息と結婚させられたが、すぐに離別。1911(明治44)年、27歳の時、筑豊の炭鉱王である伊藤伝右衛門と再婚する。別府の赤銅御殿と呼ばれた別荘での生活が始まるが、その後、1921(大正10)年、青年社会運動家である宮崎竜介と駆け落ち。 ⑬丸山待子 歌人。29歳で夫と死別後、実家である小松屋へ戻り、1928(昭和3)年に浅利良道などと共に「大分歌人」を創刊した。野口雨情・与謝野晶子なども訪れ、小松屋は文化サロンとして機能した。 ⑭浅利良道 歌人。大分県短歌界の重鎮。1934(昭和9)年、大分合同新聞(当時は大分新聞)の歌壇選者となる。生誕地は現在の西法寺通り。 旧国道(小倉街道)では「中町」。旧屋号は満足屋。 ⑮奥野他見男 「別府夜話」。1925(大正14)年発行。書き出しは「別府に怪しいものがある。家族風呂だ」。 ⑯若山牧水 1885(明治18)年、現在の日向市で生まれる。1925(大正14)年、妻と共に九州各地に出かけ、母を連れて別府で保養する。
by b8spa
| 2015-07-29 18:36
| 別府八湯の文化
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