明治末期の温泉行政(歴史)

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1966年の『別府温泉の実態』によると、大分県は、1912(明治45)年6月5日、大分県訓令32号で、鉱泉取締規制を設け、泉源の保護対策を開始した。別府においては、1906(明治39)年4月、別府と浜脇の両町が合併し、新しい別府町が誕生した。そこで1909(明治42)年には、別府町上等温泉取締規定、入湯入待遇方法、海岸砂湯管理規程を公布し、不老泉、浜脇西温泉の上等温泉は有料の町営温泉となった。この条例は温泉利用に仕方を明示したものである。その際、温泉事務員を設置し、温泉行政の嚆矢となった。
1911(明治44)年には温泉課を新設し、助役がこれを兼務し、温泉の管理や観光宣伝に力を注いだのである。1918(大正7)年には別府町温泉調査会を設置し、温泉資源の調査を開始した。
1924(大正13)年、別府町が別府市となって、専任の温泉課長を置き、温泉係と補勝係(現在の観光係)に区分したのである。1936(昭和11)年になると、観光係を観光課に分離し、温泉課は温泉行政に専念することになった。
絵葉書は浜脇西温泉。
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by b8spa | 2011-06-10 23:47 | 別府八湯の歴史
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