明治末期の温泉分布(歴史)

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図は1905(明治38)年2月現在における別府温泉(別府、浜脇)における源泉の分布状況を示したものである。鉱山監督官である松田繁が大分県知事に提出した報告書『別府濱脇町鉱泉ニ関スル取調書類』(1905)に掲載された内容である。
1905年現在の源泉数は198ヵ所(孔)を数え、地域別では、別府166孔、浜脇32孔を示す。源泉の内訳は、穿湯173孔、掘湯25孔となる。穿湯とは上総掘りのことである。この書類によると、1882年(明治15)の掘削が一番古く、当時の別府の豪商である「たばこ屋」主人の荒金猪六が掘削している。
分布状況をみると、源泉は流川沿いと旧国道沿いに分布している。旅館、商店、自宅などで掘削したケースが多いといえよう。その後、別府では温泉掘削の乱開発が進展した。その結果、1911(明治44)年現在、源泉の数は593孔を数えるに至った。所有形態の内訳は、町有源泉24孔、私有源泉569孔となる。1905(明治38)年が198孔を数えており、従って、6年間で371孔、1年平均で61.8孔の源泉が掘削された計算になる。こうした上総掘りの導入で、旅館では内湯を完備するところが続出したのである。
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by b8spa | 2011-06-10 23:40 | 別府八湯の歴史
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