日本鉱泉誌(歴史)

a0212770_23374991.jpg『日本鉱泉誌』(1886年)によると、大分縣豊後国の項で、次のような記載がある。( )内は筆者が追記したものである。別府村別府鉱泉として、楠湯、不老ノ湯(不老泉)、長石ノ湯(永石温泉)、中津屋ノ湯(中津屋旅館)、野田湯(田の湯温泉)、浴客1万630人(平均1ヵ年、以下同じ)、濱脇村濱脇温泉として、東温泉、西温泉、逆旅(旅館)40余戸、浴客1万1,340人、南立石村観海寺鉱泉として、客舎10余戸、浴客3,219人、南立石村上ノ田鉱泉として、浴客未詳、南立石村堀田鉱泉として、逆旅11戸、浴客3,176人、鉄輪村鉄輪鉱泉として、渋ノ湯、熱ノ湯、浴客8,000人、野田村柴石温泉として、逆旅2戸、浴客800人、野田村湯ノ森鉱泉として、御夢想ノ湯と称す、亀川村蕩耶鉱泉として、客舎13戸、亀川村平田鉱泉として、浴客3,500人、鶴見村地蔵鉱泉として、客舎7戸、浴客2,600人、などの記載がある。
別府村では、旅館の不記入、温泉施設の調査不足もあって、正確なデータとは言えないが、現在の別府温泉郷の範囲では、おおよそ4万3,000人程度(1年間)の入浴客があったと推定できよう。明治中期までの別府温泉郷は、共同湯を中心として温泉集落が成立していたが、近在の農民などを対象とした湯治場の段階に留まっていたのである。
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by b8spa | 2011-06-10 23:37 | 別府八湯の歴史
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