市街諸家商(歴史)

a0212770_1133496.jpg
佐藤蔵太郎(1888)『別府温泉記』によると、同誌の中に別府村における市街諸家商の一覧がある。この一覧表には、1888年(明治21)現在、59軒の商家が掲載されている。
町別にみると、野口3軒、北町7軒、中町8軒、南町3軒、流川21軒、楠濱16軒、中濱1軒を示し、整理すると、小倉街道21軒、流川・楠浜38軒となって、すでに流川から海岸部にかけて商家が数多く分布していることが分かる。なお、本町と言う地名は無いが、屋号から推計すると、本町は北町に含まれていると思われる。
旅籠(入湯宿を含む)は24軒が記載されている。その経営形態は、旅籠屋(入湯宿)専業7軒、兼業17軒となる。兼業17軒を具体的にみると、貸座敷兼業8軒、船問屋兼業7軒など、幅広い構成をなす。従って、旅館業の専業はあまり多くない。貸座敷との兼業、船問屋との兼業が目立って多い。つまり旅館業の専業化は後のことである。経営者の氏名をみると、先住者、素封家、外来者の名前が散見される。
旅籠の分布を町別にみると、小倉街道8軒、流川・楠濱16軒を示し、流川から楠浜にかけて、集積していることが分かる。なお、邸内の内湯所有者としては、米屋(堀禮蔵)、国東屋(安部丈蔵)、佐伯屋(甲斐源太郎)、中津屋(國東賢治)、天満屋(安部三郎)、府内屋(日名子太郎)、煙草屋(荒金猪六)、筑前屋(井出安次郎)、まる賀(江上絹)、阿川や(佐藤新市)、住吉や(永井栄三郎)、新湯前(恩田友十郎)、若松や(松尾亀四郎)の13軒を数える。
この内訳は旅籠10軒、貸座席3軒(まる賀、阿川や、住吉や)となる。13軒の内湯所有者を町別にみると、北町3軒、中町3軒、南町1軒、流川6軒となり、小倉街道沿いと流川界隈が半々を占めていることが分かる。流川下流域や楠浜では、「湯場に接す」とする商家が多く、まだ源泉の掘削が進まず、入湯客は楠湯や新湯そして潮湯を外湯として利用していたことを示すものである。小倉街道の内湯所有者7軒は旅籠(入湯宿を含む)であり、流川の6軒の内訳は、旅籠3軒、貸座敷3軒となる。
また流川下流域から楠浜にかけて、貸座席が広く発達しているが、貸座敷は2軒が専業で、兼業は5軒となる。旅籠との兼業の8軒を含めると、15軒の貸座敷が成立している。町別では、流川9軒、楠濱6軒となり、小倉街道沿いには1軒も営業をしていない。こうしたことから、名残橋付近の花柳界としての繁栄を読み取れよう。
絵葉書は小倉街道の様子。
[PR]
by b8spa | 2011-06-10 01:13 | 別府八湯の歴史
<< 明治末期の別府八湯(歴史) 明治初期の旅館業(歴史) >>