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明治初期の旅館業(歴史)

明治初期の旅館業(歴史)_a0212770_1111827.jpg別府港の築港に対して、別府の多くの素封家や有力者がかり出された。当時の別府の素封家や有力者は、いずれも小倉街道沿い、そして石垣村に近い野口、浜脇村に近い松原などに在住していた。別府港の完成によって、有力者の一部は、旅館経営に参入することになった。海運業の発展を見越して、近在からの有力者及び先住者が旅館経営に参入したのである。
大分県(1885)『豊後国速見郡村誌』は、1877年(明治10)前後の別府の様子を記した貴重な文献である。地区別の旅館数は別府40軒、浜脇30軒、亀川10軒(野田2軒、亀川8軒)、鉄輪34軒、鶴見10軒(明礬10軒)、南立石18軒(観海寺8軒、堀田10軒)で、現在の別府温泉郷では142軒を数える。同誌によれば、別府の貸席数は10軒、浜脇は4軒を示している。
絵葉書は日名子旅館。
by b8spa | 2011-06-10 01:11 | 別府八湯の歴史
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