二條泉(歴史)

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二條泉という名称は、現在、ホテルニューツルタの泉源として残されているが、二條泉という温泉施設は、歴史的には竹瓦温泉よりも古いかもしれない。場所的には、野上本館に向かって、左隣の駐車場となる。名称のルーツは、1840(天保11)年又は1843(天保13)年に来別した二條義実(よしざね)である。(来別の年には諸説がある)。義実は二條関白家の嫡流で、勤皇運動のため、当初、浜脇西町に潜伏した。その後、別府の二條泉に住む訳だが、当時、この場所は北浜の場末であった。義実がこの温泉に入湯したことから二條泉と呼ばれるようなったとか。二條泉は1階が湯殿、2階が居間で、側室の萩原カメと住んだと言う。その後、観海寺坂本の溝口次郎八宅に移り住んだと言うが、事実はよく分からない。(観海寺温泉風土記による)。そんな義実だが、1858(安政5)年6月22日、京へ向かう途中、萩で毒殺された。
二條泉の所有者は別府を代表する網元の鶴田家で、元々は小さな浴場だったが、1913(大正2)年に改築した。別府駅が開業した1911(明治44)年の地図をみると、二條泉と共に、その東に東二條泉、その北側に2軒の鶴田別宅、さらに北側に鶴田本宅が描かれている。いまの野上本館の外湯である刻の湯付近には鶴島屋、その右隣には山崎(山崎屋?)が記載されている。
なお、1943(昭和18)年1月24日、二條泉付近から出火して、筑紫館、瀬戸屋、山本旅館、えびす屋、山崎屋など旅館7軒と民家など20軒が消失した。(別府今昔による)
野上本館は、火事で焼けたエビス屋(ニ條館の敷地の一部に立地。漢字の屋号は調査中)の焼け跡を利用して、1943(昭和18)年に建てられた。土地は鶴田家の所有であった。
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by b8spa | 2011-06-04 19:02 | 別府八湯の歴史
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