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楠温泉(歴史)

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楠温泉は、昔は楠湯と言われ、共同湯としての歴史は別府で一番古い。1865(慶応元)年1月、井上門多(もんた)(馨)が若松屋(松尾彦七経営)に逗留し、楠湯に浸かって、傷を癒したという記録が残されている。
さらに、伝説によれば、1272(文永9)年には大友頼泰(大友氏3代目)が入湯し、続いて、元寇、つまり1274(文永11)年と81(弘安4)年の二度にわたる元軍の襲来の際に、傷ついた兵士が入湯して傷を癒したと言われている。
明治初期には別府港の築港もあって、楠温泉界隈は旅籠や木賃宿が発達した。しかし明治末期以降には、その地位を竹瓦温泉や不老泉などに奪われてしまった。2005(平成17)年にビルの老朽化とによって、ビルが取り壊され、閉鎖された。
写真は楠温泉が入っていたビル。現在は取り壊されて、2011年3月、ポケットパークとなった。

以下は、2011年1月11日付の大分合同新聞の記事です。

活気取り戻そう 別府楠会館跡地を整備
別府市は、市内楠町の市営楠会館跡地(約400平方メートル)をポケットパークに改修している。2011年3月に完成予定。跡地は、かつて市内で最もにぎわっていたアーケードの一つ「楠銀天街」に面している。市は「この整備を足掛かりに、昔のにぎわいを取り戻すよう知恵を絞りたい」と話している。
旧楠会館(鉄筋コンクリート4階建て)は、1964年の完成。「別府の七大温泉」とも呼ばれて親しまれていた楠温泉や店舗、賃貸アパート、集会所などがあった。老朽化で2005年に取り壊され、その後は空き地となっていた。
07年に市民にアンケートした結果、トイレや休憩所がほしいという要望があり、ポケットパークとして整備することにした。水飲み場、健康遊歩道なども設ける。地区のイベントなどに活用できる広場として、アーケードと一体的に使えるように取り外し可能なフェンスも設置する。総事業費は約2,500万円。
現在の楠銀天街は空き店舗や更地が目立つ。市商工課は「楠温泉の再興も検討したが、近くに寿温泉があることや源泉の確保などで難しい。ポケットパークを地域と街を訪れる人の触れ合いの場とし、空き店舗のシャッターを開ける方策を探りたい」としている。
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by b8spa | 2011-06-04 18:44 | 別府八湯の歴史
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