萬屋(歴史)

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別府の温泉人工掘削(突き湯)第1号は誰なのか、そして、時期はいつなのか、諸説がある。時期については、1879(明治12)年説、1889(明治22)年説がある。人物は、神澤又市郎、神澤儀作(又市郎の父)の説がある。又市郎は1864(元治元)年11月20日、儀作は1828(文政11)年3月25日生まれとなる。となると、1879(明治12)年現在の年齢は、それぞれ15歳、51歳、1889(明治22)年現在では、25歳、61歳となる。なお、父の儀作は1904(明治37)年1月10日に死亡し、又市郎は1900(明治34)年5月3日に家督を相続した。
1905(明治38)年3月に調査をした「別府 濱脇町鉱泉ニ関スル取調書類」によると、「穿湯は明治25年頃ニ別府町内ニ始マリ」とある。この調書では、荒金猪六(南町)の1882(明治15)年掘削が一番古く、神澤又市郎(中町)は1902(明治35)年、記事には「以前他ニ穿井セシモ暫次減量センニ依リテ、上記ノモノニ掘リ換エタリ」とある。
1905(明治38)年の書類では、荒金猪六の1882(明治15)年説が正解となるが、神澤又市郎の記事も見逃せない。長年の風評によれば、神澤儀作の1879(明治12)年説が正解かも…。神澤(かんざわ)家は、萬屋という屋号で呉服店を経営していた。神澤家のルーツは、丹波の出で、呉服反物の行商人であった。又市郎の祖父は儀右ヱ門、曽祖父は儀助と言う。
写真の左手が江戸末期から続いた萬屋呉服店の跡。小倉街道の中町にあった。
又市郎は、初代別府市長となったが、炭鉱投資の失敗で、財産を失ったらしい。又市郎の別府市長としての在任期間は1924(大正13)年9月26日から1928(昭和3)年5月28日まで。
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by b8spa | 2011-06-04 18:37 | 別府八湯の歴史
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