「ほっ」と。キャンペーン

流川通り(歴史)

a0212770_18241874.jpg
別府の流川通りは、1917(大正6)年に暗渠となって、8間道路として拡幅された。と言っても、暗渠となった流川通りは、本町橋(現在の流川4丁目と5丁目の境)から下流方面である。流川の水源は2つあって、1つは九日天温泉方面(北の山側)、それが田の湯、不老泉と流れ、もう1つは仮屋(かりや)方面(南の山側)が上流であった。この2つの流れが本町橋の少し上で合流し、流川となった。元の食事処なかはる(現在は、はすみ)の前の通りが、かつての流川の1つで、1938(昭和13)年に暗渠となった。道路は川の右岸にあったとのこと。
この川の水源は、江戸末期の地図を見ると、朝見川である。ということは、農業用水、生活用水としての水を朝見川から取り込んだのであろうか。
秋葉神社の北を通る現在の旧秋葉通り(旧称は「どい」)にも川が記されている。これも水源は朝見川である。
[PR]
by b8spa | 2011-06-04 18:24 | 別府八湯の歴史
<< 銀座裏(歴史) 本町橋(歴史) >>